見ていたテレビに偶然出てきた一人の話に釘付けになった。
人を惹きつける声とテンポ、聞き手をグッと引き込む間。
日本の伝統芸能の1つである講談。
その天才と賞賛されている神田松之丞の寄席だった。
落語と違うのは、笑いを取ることが目的でないこと。
過去の偉人や名人の話をしていき、聞き手の知的好奇心を満たしていく。
初めはその声や話調子に惹きつけられたけど、
そうした声の持ち主は、やはり志や背景も素晴らしかった。
講談は、
その難しさから聞き手が減って、講談師自体が激減し、その文化の存続が危ぶまれていたと。
そんな中で、
こうして天才と言われるようになり、客を集め、講談をもう一度世間に広めている。
他の講談師との違いを聞かれると、
『 講談は難しい言葉を使うから、初めての人に敬遠される。そうした言葉の美学も大事だが、私は初めての人が分かるような言葉を多く使うよう意識している。』
『 時代の変化の中で、いま目の前の人が楽しめるか、それが全て。そうでなければ、この素晴らしい歴史は途絶えてしまう。 』
そして、
『 自分をキッカケに、もっとスゴい他の講談師にも興味を持って欲しい。 』
と付け加えた。
大切にしている事の優先度が明らかだった。
動きを探求していっても、難しいことを難しく話すのは簡単。
対象者に応じて、分かりやすく、親しみやすいものとして提供できるかどうか。
そして、楽しくセッション出来るかどうか。
ソコをもっと探求していかんと、と思った。
そのために。
1回の関わりの中で、
あれもこれもでなく、優先度を更に意識し、目的を一言で言えるように。
そしたら捨ててもいいコトが見え、より分かりやすくなる。
1回の関わりの中で、
他は捨ててもいいけど、これだけはって何?
これを意識して臨んでみる。